建勲神社(山形県天童市)

御祭神:正一位太政大臣 織田信長命


建勲(たけいさお)と読みます。

(朝6時半に参拝したら、境内でラジオ体操が大音量でかかってました・・誰も体操してなかったんだけども)

温泉街天童の舞鶴公園の中にある神社で、大きすぎず小さすぎず。でも、静けさの中にピリッとした空気感が漂う雰囲気がなんだか心地よくもある。

本殿右のご由緒看板に書かれている冒頭の「なぜ・・・?」に

「ごもっとも!!」と口に出してしまった私。みんな知ってるのかなあ・・

我が国日本にはかつて名だたる戦国武将たちがいて、

中でも織田信長公といえば、知らない人はいないでしょうよ??

本能寺の変において亡くなったとされているものの、、、その後のことは子孫含めて謎な、あの信長様。

なんで?山形・・?いや、ホント、全然知りませんでしたよ。。。


さらにさらに系統図が本殿左に設置されていて、

現世にまで脈々とその血筋が受け継がれているということなのだから益々ビックリビックリ。


今回の山形訪問の軸は、出羽三山神社巡りだったんだけれど、一泊した天童市のどこか神社へご挨拶しようと思って探して見つけたのが、ホテルからほど近いこの神社だった(出羽三社の記録は後日)。

「カミサマ」が祀られているのと、「元武将」が祀られているのでは、

どうも肌感覚が違うような気がしてしまったのだけれど、でもそれはたぶん、

大河ドラマとかで身近に感じられる錯覚感が刷り込まれているからなんだろうな。

(日光東照宮でも似た感覚あったかも)


信じる信じないはあなた次第とはよく言うけれど、

当の織田信長公は実のところ本能寺から逃げ延び、出国してヨーロッパのほうへ向かったとか。

明智光秀だって、殿を亡き者にするためではなく、お守りするために本能寺へ向かったのだと。

いいじゃないの、そういうほうがロマンがあって。


いつだって勝者に都合のいいように歴史は書き換えられていて、

そういうことも徐々に明らかにされていってはいるけれど、

図らずも知らなかった歴史のいっぺんに触れられた感じがして、

いいめぐり合わせをいただいたな、と思った参拝だった。




小次郎と神様めぐり、古き好きものを探して

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